2010/06/09

人との距離感覚


意外と、私の周りはブログをやっている人が多かった。
こっそり見に行ってみては、日頃話しているだけではわからないそのひとの薄皮めくった部分みたいなところが見えてきて、不思議な気分になる。

私は人と深く関わることがどうも苦手で、実際踏み込まないし踏み込ませないところがあったりします。たぶんそう思っている人はたくさんいると思いますが。
中身を吐露することを恥ずかしく感じてしまったり、特に一緒にいる機会の多い学校の友達にはなおさら弱みなど見せたくないと思ってしまう。親にすら、自分の弱いところを見せたくないと思ってしまう性分なのだから仕方が無い。以前に比べると最近は少しはましになってきた気もしますが。

こういうときにこういった媒体の力はとても便利だなあと感じます。
「人と繋がれる媒体」が台頭してきて久しいですが、どうにもマイナスイメージが強い、というか。最近の世の中が情報に敏感で、何に対しても批判的である感は否めませんが、私は別に、上手に付き合っていけるならとてもいい媒体だと思うのです。ブログなりmixiなりtwitterなり。
特にブログなんかはその人のひとり言を無言で聞いているかんじで私は好きです。
実際会って話している時には聞くことが出来ない、見えない言葉を聞くためのツールだと認識している。
それに、文章というものは必ず、いったん頭で整理してから書かれるもの。
その言葉は会話で得ることは出来ない、と私は考えます。

だから私は今日もこっそりひとり言を聞きにいきます。
そして今ここでひとり言を言います。聞き入れるか、聞き流すかは聞き手の自由。


ブログに限らなければ、メールやらくだらないSNSサイトなどコミュニケーションツールが普及していくとともに、コミュニケーション不全が蔓延しているというパラドックスが起こっているということも否定はできないのですが。
かたやこういった「人と繋がれる媒体」に依存してしまう人々もいるのだから不思議です。
うわべだけで人と繋がった気になってしまう人々がいることも事実。


そう考えるとたぶんこの話は、日頃私が人と会話をしているから成り立つ意見なのですね。
なぜか少しだけ寂しい気持ちになりました。


この間友人に「さとまいはいっつも学校にいるね」と言われました。
たぶん、それはくだらないことでも真剣なことでも、学校の友人たちと会話するのが楽しくて仕方が無いからだな、とこれ書いてて気がつきました。だから染め部屋に誰もいない日は寂しくてふて寝しちゃうんだ・・・笑。きっと卒業はすぐだと思うから、もっともっと話しておきたいな。



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