2010/08/30

口は災いだけ呼ぶわけでもない

いやあ、口に出すって大切ですね。
先日の記事でぼやいてた方から連絡が来ました。。なんてタイムリー。

どうやら一緒にお仕事させてもらえるみたいです。
私のちからなんぞ微々たるものですが、大きな仕事の末端を担えることは光栄です。
こうして外部と関わることって今まで無かったから嬉しい。
内心、外でいろいろやっている同級生たちを見て、ちょっとうらやましかったので。なんてね。


明日は打ち合わせ。まさかこうも早く再び訪問することになろうとは。
よし、自分にやれることを、背伸びせず、確実にやっていこう。

2010/08/27

アートだろうがデザインだろうが

前々から思っていたんですが、なんで「アート」と「デザイン」って分けて考えられがちなんでしょう?

たしかにある視点で物を言った場合に於いては、二分化されるべき部分もある。
けど、また別の視点で見たときに、果たして、安易に二分化してしまうのはいささか浅薄なのではないかと感じまして。

日本のものづくりにおいて、「製品」にデザイナーの名前が記載されることはほとんどない。
「アーティスト」として、あくまで個人で制作された「作品」にしか、個人が反映されることが無い。というかそういった認識が常識的になってしまっている。
どうしてそうなってしまうのでしょうか?
製品にデザイナーの名前が入っていいはずなのに。

なんでこんなこと思ったかというと、今日、あくまでもデザイナーとしてだけど、独自の発想で製品をつくっていきたい、という話しをしてたときに、肩書きを「アーティスト」にするか「デザイナー」にするか、またはそれ以外の何かなのか、とにかく自分の体裁をひとことで表現する方法が日本語でまだ上手く見つからない、という結論になりました。
工業製品でも、誰かの手によってつくられているに違いないんだから。
よく考えればあたりまえのことでも、そういう認識って、日本にはあんまりないんですよね。

最近は個人ブランドも出てきはじめている気がするので、何年後かにはもう少し考え方も変わっているでしょうか。




明日はブルーノ・ムナーリ展いってきます。
初の横須賀美術館!

2010/08/26

夜迷いごと

やはり仕事をするにあたって、何をやるかという以前に、誰とやるか、が大切なように思う。

就職活動的な、やりたいこと模索は最早私の中では飽和状態なのだ。

猛烈に一緒に仕事をしてみたい人がいる。会って話したとき、飾らないで、自然に言葉が生まれた。

未だ連絡は来ないが、春になったらもう一度訪ねたい。そういう約束。覚えてるかわからないけど。



色んなことに悩んで一喜一憂する不安定な今だから、明日にはまた違う考えを持っているかもしれない。
不安に包まれることもままある。涙こそ流れないけど。
それでも自分の中の軸が何たるかは忘れてはならない。



今敏氏の死を目の当たりにして、人生についてもういちど想いを巡らせる機会を得た。
遺書を読んだら、久しぶりに本物の涙が流れた。
泣いたことを公言することすら久しい。


かなり突発的な、口をついて出た言葉の羅列だが、振り返らないことにする。


今夜は眠らないので。

2010/08/11

冷蔵庫の下から二段目の話

なんだか口寂しくなって、冷凍庫を開ける。


そこには誰が買ってきたのかわからないスーパーカップ(バニラ味)があった。


一瞬止まる。


なんとなく、誰かが楽しみにして買ってきたであろうカップアイスを食べてしまうことに、多少の罪悪感を感じたからだ。


だからその右側にあった箱入りのプラムを食べることにした。


ひとくち食べて、


やっぱスーパーカップの方が良かったな、と


少し後悔した。







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手が進みません。


要するにそういうことでした。



もー、



何が描きたかったのか、よくわからなくなってきた。



気がつくと表面的なことばっかり考えてる。



このままじゃどうにもならないな…




恐竜展か哺乳類展みにいきたい。

2010/08/06

ぷーん

最近、いわゆる「就職活動」と呼ばれることはしていない。
だからといって、将来的にやってみたいことがないわけではないのです。

しかし、具体化していないがゆえに、両親からの視線が痛い。
それこそこの歳で怒られたりはさすがにしていないけれど、ふとしたときに近況を聞かれると、どうもうまく答えられません。曖昧な返事でごまかしてやり過ごす。だから余計に両親には伝わらない。

一朝一夕で具体的なプランが浮かぶわけでもなく、あんまり気のないところをばしばし受けて変に体力使うくらいなら、本命をひとつひとつ狙うくらいの気構えで動いていきたいわけです。常に情熱を持って動きたい。これはいわゆる「就職活動」としてはいささかアウトローすぎるのかもしれません。

あー、どうしたらきちんと伝えられるんだろう。
父については本当に一般論者でしかないので、理解されることは永劫ないものだと思ってしまっている…が、これはあきらめが良すぎるのだろうか。かといって今の私の状態では到底理解を得ることは難しそうです。はあ。



将来の方向性にぶれることはなくなりつつあるけれど、なかなか具体化していかないことにもやもやしています。卒制も、いまいち具体化していないし。ね。


もやもや。


もやもや…。

2010/08/04

頭のノート

私は鳥になりたいと思っているし、魚にもなってみたいし、草木にもなりたければ、かたやそれらを取り巻く空気にもなりたいと思っている。
これはなにかになりたがることへの直接的な願望などではなく、私が私という人間として生まれたが故に起こる他者への羨望である。つまりなりたい対象は何だって良い。
ところが世の中はそううまくいかなくて、生まれてきたからにはその形を維持する他ない。

それでも、自分が生み出す物理的な線や空間、もしくは無形物の思想や思念といったものには変化を与えることが出来る。生まれ変わり続けることが出来る。


自分の卒制の本質的理解を導くために、メモしておきます。
まだなにか言い方ありそうな気がするなあ。



蛇足。生まれ変わったら飛行機の整備士になりたい。これは本当。笑