2010/04/24

つぶやくほうが圧倒的に楽だけど、それはそれでこれはこれ


長いタイトルですが、最近友人に唆されてついったを始めたわけです。

「ぜっっっっっっっったいついっただけはやらん!」

とか思ってたのにあっさり、ころっと、寝返り。笑
あれはそのとき思ったことをひとことでぽろっと、尚かつ誰かに喋った気になれるところがいいですね。
元々ひとりごとが多い質なので、あの”喋りっぱなし”感は嫌いじゃないです。

しかしながら、ブログも捨てがたい。
こちらはついったと違って、脳みそで書きたいことをきちんと形成してから書く。
それこそついったはほぼ脊髄反射でしかなくてある意味生の声だったりするんだけれど、
こんな風に一文字一文字、自分の思考が滲み出る(かどうかは主観ではわからないけれど)「文章」を定期的に書くことは自分には必要だと感じるのです。(巧拙はこの際置いといて・・・)

いずれにせよ”喋りっぱなし”であることは変わらないわけですが、そこに「思考」があるかないかでは自分の中の処理では大分違うのです。

久しぶりによくわかんない考察でした。いつも不毛なこと考えてる気がするなあ


自己満足、大いに結構。
ついったは暴言が多いらしいので(私は他人様のはほとんど拝見したことないから知らないけれど)いくら反射とはいえ、気をつけなくてはね。
不快な言葉は不快だ。
日本語はこんなにも美しいのだから美しく使いたいと、心では・・・思っている・・・
(口語は汚い)


明日は代官山にいこうかな。一つ下の学年がみんなで展示をやっているそうです。
楽しみだ〜